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複製された男 単純なタイトル詐欺、約90分を捨てる覚悟を持て!

この映画は今年見た映画の中で1番。

ただし悪い意味で。

少々調べた結果、原作はポルトガルノーベル文学賞作家のものだけど原作にない蜘蛛を使った表現を追加し、原作にあった要素をいくつか排除。

監督のアレンジにより、とても意味不明な映画に仕上がった。

 

正直、先にこの映画の見方を説明されないと何が起きているかわからない状態。

とてもオススメできない映画。

 

適当にまとめてみる。

 

 

 

あらすじ

大学の歴史教授をしているアダムは、ある日同僚に勧められた映画を見る。

すると、そこには自分と瓜二つの人間が出演している。

 

いてもたってもいられず、事務所を調べて向かうと、受付のガードマンに声をかけられる、「久しぶりだな」と。

 

戸惑いながら適当にやり過ごし、そっくりさん宛の手紙をもらい、個人情報を入手。

住まいを確認し、電話をかける。

 

何度か電話をして、そっくりさんのアンソニーと会う約束をする。

待ち合わせ場所に行き、アンソニーと会う。

顔、声、手、腹部の傷跡まで同じ。

怖くなり逃げるように出て行く。

 

これでもう終わり、のつもりだったが、今度はアンソニーがアダムの周りを嗅ぎ回りだす。

 

 

まぁ、これで半分くらい。

90分の映画だけど、内容はかなり薄い。

 

とにかく、1番許せないのはタイトル。

複製された男、こんなこと言われればクローンとかを想像するが、実際は妄想劇らしい。

そんなこと言われても自分はとても納得できない。

久々に時間を無駄にしたと人に言える映画だった。

 

 

で、最初に書いた「原作に追加した蜘蛛」っていうのが不要。

天井を歩く裸の女性(頭だけ蜘蛛)、街を歩く超巨大脚長蜘蛛、ラストで部屋にいた巨大蜘蛛。

この描写に何か伏線があるのかと思わせぶりにしているが、物語で蜘蛛に触れる話題は一切無い。

 

さらに、ラストで入手する鍵。

一度だけ秘密の部屋の話が出てくるので、多分その部屋の鍵だけど、使わない。

正確に言うと、映画の冒頭で暗い部屋の中でたくさんの男たちの前に蜘蛛が一匹運ばれ、その蜘蛛が主人公の方に向かう、というシーンがある。

その部屋のことかもしれないが、そのシーンの意味も説明がない。

 

 

それから、最初で最初でもう一つ書いたこと。

この映画の見方だが、どうやら『主人公は2重人格である』という前提で見るらしい。

 

これでも不満が残る。

最後の方で、アダムはアンソニーの奥さんCと、アンソニーはアダムの彼女Dと過ごす場面がある。

ここでアンソニーとDが口論になる。

アダムに薬指に指輪の跡はないが、アンソニーには指輪の跡がある。

それに気づいたDは気味悪がって逃げ出す。

2重人格、同一人物を表現するならこんなシーンがあることがおかしい。

 

その後、アンソニーとDは事故死する。

アダムたちはアンソニーのアパート、アンソニーたちは路上(車で移動中)。

別の場所でアダムとアンソニーが存在し、物語が進む。

 

先ほど『妄想劇』と言ったのはこれ。

2重人格の人間の妄想が半分以上を占めていると考えれば、力技(すべて妄想として)で色々説明できる。

 

でもそんな内容のどこに魅力を感じるのか?

自分は、監督にこう言われているようにしか思えない。

 

「映像だけは用意してやった、あとは自分で好きに楽しめ」

 

これはこうじゃないか?

あれはこういうことだ!

 

そういう話をするのは好きだけど、それはベースとなる世界観が見えていて初めて楽しめる。

この妄想話は、どこが現実でどれが妄想か見極めるのがとても難しい。

 

一応、生き残ったアダムが主人格であると思われる。

でも最後に過ごしているのはアンソニーの部屋。

じゃあ生きているのはアンソニー

 

結局主人公が誰かすら分からない。

すべて自分で考えろと言われてもお断りだ。

 

 

この映画を見て得た唯一のもの。

それは『貴重な90分の使い方』。

時間の大切さを教えてくれた。

後悔しかない。

 

 

 

では、本日はここまで。しーゆー!